愛知県名古屋市瑞穂区 自己破産・任意整理・・過払金返還などの債務整理、会社設立、相続・遺言、成年後見 天野司法書士事務所
当事務所で債務整理をされた方の手記
1 個人再生をされた名古屋市 54才 男性 (2006.2.15記)
思い返せば昨年4月誰にもこの悩みを打ち明けれないまま、ナイフで二の腕を切り刻んで、死に切れないままの朝を向かえました。どうしようもなく「いのちの電話」に相談し、やさしく話を聞いていただき、「法の力を借りることも大切ですよ」という励ましの言葉をきっかけに、なんとか生きて人生の再生のすべを見つけ出そうと、その日からネットを検索し、同じ悩みの方々がいないか探してみました。そこに、ひとつのHPを見つけ、掲示板に書き込みしましたら、2時間後にご返事が着て、まさに「生への福音」となったことに大変感謝致しております。掲示板に出会うまで自分自身が借金鬱病にかかっていることに気づいたことです。
これをきっかけに、債権者の方々に、「申し訳ありません。もう支払う能力がなくなりました」「個人再生の手続きをします」というと、ほとんどの債権者の方々が「司法書士さんが決まりましたら、すぐに連絡ください」「それと進展状況を随時しらせてくださいね」と、それ以上の追求されることなく、大変丁重な対応をしていただけました。
次にHPのアドバイスのままに、借金の明細を作成し目を背けたいた実態を知ることになり改めて自身の無謀な暴走を知ることとなりました。当時の負債と収入の状況は、
■負債総額 4450万
金融会社 借入れ15社 約1250万
住宅ローン 3200万
■毎月返済額
金融会社 約35万(4月以降どの会社にも返済すること止めました)
住宅ローン 22万
■収入
約900万(月手取り約35万)
でした。
そもそも借金に至る経緯は、長年に渡る家庭内別居からでした。また、仕事の立場上、社内交際が多く、家内から渡される金額だけでは到底やり切れる金額ではありませんでした。それでも、当初は、自分の貯金や株などで食潰していましたが、結果は先に述べましたよう最終的には、返済のための借り入れの繰り返しとなり、直近の一年の内に、一気に8社ぐらい増え、一度は、買取詐欺にもあうなど、雪だるま式に増えてしまう始末となりました。
■司法書士協会に相談
何とか再生すると決意し、次に進めたのが「司法書士協会の無料相談窓口」に伺い、相談の結果、三人の司法書士さんの紹介を受けました。そして、三人の司法書士さんに相談し、いずれの方々に言われましたのは、「個人再生不可」。ボトルネックは毎月22万の住宅ローンです。「自己破産」しかありません。と言われました。それと、三人の司法書士様のお言葉から「個人再生」に精通しておられないような気も致しまして、この辺りのご経験豊富で、柔軟でやや革新的な考え方を持っておられる司法書士様を見つけなければ「個人再生」は極めて困難ではと挫折しかけました。
そこで、図書館から「個人再生」に関する本をいくつか借り読みつくし、「猫次郎先生」の本に出会い、これをきっかけととし、もう一度ネットで調べましたら、猫次郎先生のHPより名古屋市の司法書士さんに「天野司法書士事務所」が紹介されていましたので、神にも祈る気持ちで相談に伺い、お話ししたところ、これまでの司法書士さんと異なり、「個人再生」にご経験深いものを感じ、その場ですぐに依頼しました。
翌日には、天野先生からの債権者へのご連絡で、一切私自身への電話はなくなり、当時長期の海外出張がありましたが、安心して仕事に専念することができました。日本に戻り、
・8月に「個人再生の手続き申請」
・9月に裁判所にて弁護審査
・11月に最終的な裁判所にて弁護審査
・12月に「個人再生」認可
・06年2月末より支払い開始(最終的に、1250万が290万までに減額となりました)
と、途中私の鬱病などもあり、天野先生の手続きにご迷惑をおかけましたが、大変よかったのは、親近感ある言葉でなく、きちっきちっと対応すべきことのご指摘、そして、つぎに連絡が取れないときには「受託解除しますよ」の厳しい言葉をいただいたことだと思います。
個人再生が決まった今、一番よかったのは「借りる」「返済」という言葉が頭からすっかり消えたことです。そして家内とも離婚し、とても仕事に専念できる状態になったことです。もう新聞やテレビや街に見えてる消費者金融の看板にも目が行くことなく、赤や青や黄色といったひとつの風景として楽しむ心の落ち着きができたことです。それと運動や音楽を楽しむ余裕まででき、天野先生に出会えたことに今は、とても感謝しております。
2 自己破産をされた名古屋市 39才 女性 (2006.7.17記)
何から書いたらいいのかわからず、支離滅裂かもしれませんが、思い返してみると、今の生活が1年前には想像できたでしょうか。今でも月々借金の返済をしなくてもいいのだろうかと不安になることがあります。
天野先生のところを尋ねたのは昨年の11月ごろ、返済のために借り入れをするしかない状況になり、「これ以上自力で返済することは難しい。誰かに助けてもらうしかない」、そう思い、以前不動産の処分でお世話になった天野先生のところを尋ねました。私の状況では、自己破産するしかないと言われ、愕然としました。借金を払わないということを考えたこともなかったからです。自己破産したら今までの生活はこわれてしまうのではないか、そういう不安にも襲われました。
私の借金は10年前に始まっています。妊娠したことを機に、当時交際していた人と結婚する話がすすんでいたのですが、結局結婚せず私一人で育てていく決心をし、当時勤めていた会社には産休をいただき、実家に一時帰ることとしました。子供が保育園に入れるようになったら名古屋に戻り復職して、子供と二人暮らしていこうと考えていたのです。ところが産休中の私のところに、母への借金の取立てがきて、結局実家にいる間に、貯金は全て使い果たし、このとき持っていたカードで借金をすることを覚えました。名古屋市の支援をいただきながら、ほそぼそと子供とくらしていたのですが、子供が2歳になったころから、実家の母から、お金を貸してほしいと頼まれるようになり、毎月チョコチョコと貸すようになりました。そのうち実家の祖母から、母がお金を借りにきて、もう限界だという連絡が入り、母の借金が相当な額かもしれないと感じました。結局、母の借金は350万に膨らみ、返済のために借入する状態になっていたのです。自己破産してほしいと頼みましたが、その後生活できなるからいやだとごねられ、私が返すと言う約束で、親戚に肩代わりしてもらい、借金の任意整理と言う形で弁護士さんに対処していただくことになりました。
本来ならこの件で借金の恐ろしさを私も身にしみたはずでしょうに、私はカードのおいしさに目覚めていった気がします。働いて返せるから、返せる範囲なら、必要な額を借りてもいい。だんだんそれが当たり前になっていった気がします。
そして6年前、今の夫と会社で知り合いました。仕事を通して、次第に親しくなりましたが、当時夫には別居状態とはいえ妻子があったのです。離婚するからということで、一緒に住むことにしたものの、それからが泥沼でした。1年半の争いの後、離婚することはできたものの、その費用として300万が必要で、裁判費用もあわせ、私が全額を借金することとなりました。というのも、離婚調停が始まってすぐに夫は別の理由でリストラにあい、その後職が見つかるまでの半年、友人のところでバイトで食いつなごうとしたものの給料の支払いの半分はふみたおされ、本当にどん底をはうような思いでした。リストラされても、調停や裁判中は、先方に以前と変わらない生活費を送るように言われましたし。幸い夫も再就職できましたが、手取り20万なく、私たちに離婚費用を払う甲斐性など当時ありませんでした。しかし、これ以外に離婚する方法はないと弁護士さんから説明をされ、借りる当てもなかった私たちは借金をすることとしました。それから夫と二人、社員とバイトの掛け持ちで働き、月25万から30万の返済をするようになりました。この2ヵ月後私が、そしてその2ヵ月後夫が、交通事故にあい、その際に支払われた費用さえも借金の返済にあてました。また、夫にはマンションのローンがあり、名義はすでに他人に渡っており、返済が滞れば、いつ銀行に一括返済を迫られても仕方のない状態でした。結局、交通事故のお金や返済して浮いた分の借入枠を使って、すべて借り替えました。こうして三年間、借金の返済に必死で、心身ともに疲労していました。そして、今度は私の子供が、家に親のいない不安からおかしくなり、私が一時仕事をやめることになったのです。夏休みの間だけ、最初はそう思っていたのですが、その後職は見つからず、10月には、もう返済がとどこおり、借入で返済するしかなくなってしまったのです。
なぜこのときすぐに行動できたのか、それは今でも不思議です。天野先生に相談に伺った当初、「今は仕事がないから返せない、仕事が見つかったらまた払えるから今何とかしのげないか」そんな気持ちでした。状況をお話し、相談したところ、自己破産するしかないということでした。これから生きていけるのか、どんな制限をうけるのか、本当に借金は返済しなくてもいいのか、不安ばかりでしたが、天野先生に一つ一つ答えていただき、全てをお願いすることにしました。
天野先生にお願いしてから、当然のことながら、借金の返済はしなくてよくなりました。変な話と思われるかもしれませんが、借金から開放されてよかったと思ったのは、すべての手続きが4月に済んでしばらくたってからでした。あまりにも月々収入がはいると借金を払うというのが当たり前になりすぎていたのかもしれません。
実際今は、以前と何も変わらず生活しています。変わったのは唯一借金の返済も借入もしなくてよくなったことです。確かにカードを使っての生活に慣れていたので不便がないとは言いませんが、生き直すチャンスをいただいたのだと思っています。幸い私も再就職でき、体をいたわりながら、子供と家族の時間を大切にしながら、少しずつ貯金をすることもできるようになりました。ブラックリストに載ってから、わけのわからないところから、お金を貸してくれるという案内がよく来るようになりました。もしここにかかわったらまた借金地獄へもどることになるのだと思い、関わらないよ!と心の中で言いながら破ることにしています。
気がつかない間に、働いていれば返せるから、今借りちゃおう!自分なりに計画的だったはずが、恐ろしい感覚のずれに発展していました。今回、私たちの生活を守り、生き直すチャンスを下さった天野先生に心から感謝しています。
3 自己破産をされた犬山市 57才 男性 (2009.5.12記)
本日、裁判所に出頭して自己破産の免責が正式に確定しました。
手続きを開始して一年余となりましたがこれでやっと私の心を苦しめていた老後の住宅ローン返済の悪夢から解放されたのだ、という実感を今日、心から得ることが出来、とてもすっきりした気持となりました。
ここまで至るを振り返ると、4年前に妻と離婚し、子供を引き取り、子供たちだけと一緒に暮らし、その子供たちも結婚や独立といったそれぞれの自立の道を歩み始め、私一人だけが取り残された結果となった住まいで孤独な一人暮らしが始まりました。その間に、住宅ローンの支払いに一回、つまづいたことから、月遅れで延滞金と支払いを半年ほど続けている内に、相手が待てずに一括の支払いを求めて来ました。その結果、督促状や競売手続きするなどの通知が届くなど、これ以上無理しても定年後にも続く住宅ローンの返済のことも頭に重くのしかかってきて、定年後も返済できる収入の仕事に就けるのだろうか、いやあり得ないだろうと思い、だとしたら住宅ローンの返済ができなくなると子ども達にも負担をかけてしまうのでないかなど色々と考えるようになったのです。定年後の退職金といっても転職していましたので僅かな額しかなく、退職金で支払いきることも到底出来ないこともわかっており、限界を感じてきたからです。
折しもアメリカのサブプライムローンの問題やワーキングプアなどの暗い話題がニュースにされるなど、これも自分ごととして重なってきたのもこんな頃で、定年後の不安は益々募るばかりとなり、日に日に頭の中にこのことが重くのしかかり、どうしたら住宅ローンから解放されるのか?といったことばかり考えてしまい、夜中も突然目を覚ましてしまうなど悶々とした日々も続きました。こんな悩みは誰かに相談することも出来ません。ですからなんとか別の解決策はないかとネットや書店で調べるなどしているうちに「任意売却」に関する本が目に留まりました。本を何度も何度も読み返し、本当にこの方法で大丈夫だろうかと悩んだ末、最後のページに載っていた相談センターに電話することにしました。すると地域が違うということで私の地域の名古屋の不動産会社を教えてくれたのです。教えてくれた不動産会社をネットで調べたらホームページもあり、家庭的な雰囲気のスタッフの画像も掲載されているなど、なんとなく安心感をいだいて思い切って電話をかけてみました。
電話の向こうからの声 もハキハキとされていて、快く私の相談内容を聞いてくれるなどですぐに自宅まで来ていただくことにしてもらいました。そして私の任意売却の決意に至るまでの話しなど親身に聞いていただいて、すぐに任意売却を任せることにしました。その結果、私の購入した物件は公団のため特殊なローン形態になっていて、任意での売却ができないことがわかったのです。さらに驚いたことに恥ずかしい話しですが、当時購入したマンションは4800万の物件でしたが、75歳までの35年でローンを組んでいたことで実に支払い総額が7500万以上にも及ぶことでした。このままでは住宅ローン返済の苦しみから逃れること出来ない、逃れるには夜逃げか自己破産しかない。しかし、どちらも子供たちに迷惑をかけてしまうし、ならば現実から逃避して公園や河川敷での青テント暮らしの自分の姿など浮べたりと頭の整理がつかない状態でした。そんな困惑の私に任意売却の相談に乗ってくれた不動産会社の社長さんが何度も電話して下さり、お付き合いのある司法書士さんを紹介しますから「自己破産」について一度相談されたらどうですか?と親身にアドバイスしてくれたのです。そして不動産会社の社長さんにお願いして天野先生を紹介していただいたのです。
天野先生にお会いして自己破産の自分自身が思っている不安点のお話しを聞いていただくうちに、私の「自己破産」における人生の落伍者のイメージとか、会社にばれたら首になってしまうとか、そのまま定年まで無事仕事が続けられるのかなど色々な誤解を丁寧にひとつひとつ解いていただいたことで安心して「自己破産」の手続きをお任せする決心に結びつきました。裁判所の競売額はたしか2300万ぐらいでしたから、残りの返済しないといけない額は本当なら3〜4000万ぐらいはあったかもしれません。これが「自己破産」の手続きをしたことで支払わなくて済むことになったのには驚きでもありました。
天野先生に委任を受けていただいて私がしたことといったら、先生が必要とする書類を用意すること、裁判所の競売確定までに引越しを済ませること、それと裁判所から自己破産の免責の出頭通知が届きますのでその時だけ裁判所に出頭することだけで済みました。天野先生が手続きされている間の私は普段通り会社と家の往復と、この間、海外出張などもありましたが連絡方法だけきちっとしておく、ということだけで生活面に置ける不自由さは何一つ無いままですべての手続きを済ませることができたのです。自己破産を委任して手続きを待つ間、アメリカのサブプライムローンの問題が世界金融不安までに一層拡大し、自動車業界の売上落ち込みによる雇用者の収入の大幅削減や派遣切りのニュースなどが年末年始にたびたび報道が繰り返されるなど観る度々に、自己破産の手続きをして良かった、とテレビや新聞を前にして何度も思いました。免責が確定した今の私の一番大きな救いは定年後の住宅ローン返済の悩みからの精神的な圧迫から解放されたことです。これが一番の喜びですし、何よりも定年まであと数年をお世話になった会社で安心して仕事
に集中できること、また今の会社から早期退職を迫られても住宅ローンの返済のない分不安が小さいことです。また子供たちにも余分な心配させることもなく、今、住んでるの住居は小さな借家ですが心からの幸せを感じています。
私の怠慢で天野先生からの連絡がとれなくなるなどの迷惑をかけましたが、根気強く手続きをしていただけたことにあらためて感謝しております。
自己破産、債務整理のトップページに戻る